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はじめて離婚を意識した夫の言葉|大変な時こそ見える本質

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この記事では約11年間の結婚生活の中で、はじめて離婚を意識した時のこと、そして離婚するに至った経緯などをお話します。

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目次

馴れ初めから結婚まで

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私と夫は職場で知り合い、8年の交際期間を経て結婚しました。

交際が始まった時、私はまだ20歳だったので、結婚なんてまだまだ先の話だと思っていました。

ですが、すでに彼は26歳。

30歳までに結婚したかったようで、私が24歳になる頃には結婚の話も出ていましたが、まだやりたい事も沢山あり決心がつかなかったため、結婚するのを数年間待ってもらっていました。

その交際期間に彼の実家の問題などが発覚し、家族からは「結婚してもやっていけないのでは?」と心配されていたのですが、彼が結婚するまで数年間待ってくれていたので、それに応えなければという気持ちと、今さら他の誰かとイチから交際するのが面倒という気持ちもあって、27歳の時に結婚する事を決めました。

Shino

当時は何とかなるだろうと楽観的に考えていました

出産後まもなく母が末期がんと判明する

結婚から2年後に長女を出産。

産後間もなく母の体調が悪くなり、検査したところ、膵臓癌であることがわかりました。

膵臓癌はとても進行が早い癌で、わかった時には既に末期で手術もできない状態でした。

「余命半年」と宣告され、延命治療にしかならないとわかりつつも奇跡を信じ、辛い抗がん剤治療に挑む事になりました。

母と一緒にいられる時間が残り少ない事がショックで、夫と住んでいるアパートには戻る気になれず、そのまま実家で生活しながら母の看病をさせてもらう事にしました。

元夫には、産まれたばかりのわが子となかなか会えない状況にさせてしまい、申し訳ない気持ちもありましたが、会社帰りや休みの日に子供に会いに来てもらうようにお願いしました。

Shino

実家で生活しながらの看病を許可してくれた事については今でも感謝しています

離婚をはじめて意識した夫の発言

ある日、子供の検診があり、久しぶりに夫と出かけた時の事です。

母の病状がかなり厳しい事を話しながら「でも私は治ると信じている!」と話したところ「治らないよ!」とイラっとした口調で言われたのです。

元夫

治らないよ!(イラッ)

Shino

そう思っていたとしても言い方ってものがあるよね!?

私も「絶対治る」と言いたかった訳ではなく、少しでも希望を持っていないと、現状が辛すぎて頑張る事が出来なかったので「治ると信じている」と言ったんですが…

たとえ本心では「治らない」と思っていたとしても、もし思いやりがあるなら、「応援してるよ」とか表面上だけでも言うことができるのではないでしょうか。

妊娠中もつわりが辛くて寝ていると「ぐうたらしてばっかり!」と言われたり、産後10日ほどしか経っていないのに、元夫の上司や親戚の家へ出産祝いのお礼を言いに連れて行かれたりした事もありましたが、神経質な人だから仕方ないと思って我慢していました。

しかしこの発言を境に、夫の自身の人間性を疑うようになっていきました。

その後、母は余命とされた半年より2ヶ月ほど長く生きてくれました。

亡くなった日は、ちょうど娘の1歳の誕生日で(なんとかその日までは)と母は頑張ってくれたのかな、と感じました。

私が仕事を辞めた後の夫の変化

出産までは共働きで1年間の産休を取っていたので、本来なら娘の誕生日の翌日から会社に復帰しなければならなかったのですが、産休中は母の事と慣れない子育てで保育園を探す気になれず、会社に復帰するのはやめ、そのまま退職させてもらう事にしました。

会社を辞める事は夫も了承してくれました。

しかし、会社を辞めて夫の収入だけで生活するようになると、だんだん夫がお金にうるさくなっていきました。

Shino

スーパーで私が好きなペットボトル飲料を買って冷蔵庫に入れてあるのを見つけては嫌味を言われる事もありました

夫は300万円以上する車を勝手に購入してしまうほど車が好きな人でしたが、そういった自分の好きな物にはお金を惜しまないのに、自分が興味がないものに使う事に対してはとても嫌がる人で、一緒にテーマパークへ行っても「お金がもったいない」と言って、コンビニで買ってきたものを食べたりするような人でした。

一緒に出掛けても気を遣うばかりで、心から楽しむ事ができず、次第に別行動が多くなっていきました。

また、一緒に買い物に出かけても、私が子供をベビーカーに乗せて荷物を全部降ろし、準備ができたらようやく車から降りてくるような事もよくありました。

口では「子供は可愛い」と言っていても、小さい頃はあまり遊んであげる事もせず、「もっと大きくなったら遊ぶ」と。

「その頃には子供に相手にされなくなってるよ」と言っても、聞く耳も持ちませんでした。

次第に残業だと嘘をついて実際は遊んでいて深夜に帰宅する、といった不審な行動が増え、夫への不信感がますます募っていきました。

Shino

稼いでいる自分は何をしても構わない、といった感じでした

ある日突然、離婚を切り出す夫

母が亡くなって数年後、今度は父が癌になりました。

胃がんのステージ3で、早めに手術しなければならない状態で、入院の準備に追われていた時です。

夫が離婚を切り出してきたのは。

離婚して!

普通の感覚なら、せめて手術が終わって落ち着いてからにしよう、と思うと思うのですが…

私もこれまでの事から離婚願望はずっとありましたが、急に「離婚したい!」と言われても、私自身の貯金はほぼ無く、少し前からパートは始めていたものの収入は10万円にも満たない額で、その上父の手術を控えていたので「せめて落ち着くまで数ヶ月待ってほしい」とお願いしました。

でも、どれだけ説得してもムダでした。

逆に、こんな大変な時に離婚を切り出された事で「もうこの人とは終わりでいい!」と離婚する決心がつきました。

もし元夫からこの様なタイミングで「離婚」を切り出されなければ、不満はありながらも「自分の力だけでは生活できないから」と諦め、今も結婚生活をそのままずるずると続けていたかもしれません。

大変な時こそその人の本質がわかるものだ、とつくづく思いました。

まとめ

大変な時こそ、その人がどんな行動をとるのかで、その人の本質がわかると思います。

そしてそれは今回だけでなく、また何か大変な事が起こった時に、同じような状況になる可能性が大きいでしょう。

離婚に限らずとも、この先突然自分の力だけで生きていかなければならない状況に陥ることがあるかもしれません。

将来が不安…離婚したいけど生活していける自信が無い

そんな方にぜひ、情報収集をする事から始めてみてほしいと思います。

私はずっと将来に漠然とした不安がありましたが、行動することで次第に不安が減っていきました。

今でこそ、YouTubeやブログで情報発信したり、動画編集の仕事をしたりしていますが、離婚前は今のような生活を送るようになるなんて、想像すら出来ませんでした。

自分に自信がない、ただの情弱アラフォー主婦だった私を変えてくれたのが情報収集だったんです。

具体的な情報収集については以下の記事で詳しくまとめていますので、ぜひ参考にして頂けたら嬉しいです。

不安や焦る気持ちを進む力に変えて、今できるところから挑戦していきましょう!

Shino

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